建国記念の日と神武東征

      2018/07/06

今日2月11日は私たちが住んでる国、日本国の誕生日です。

 

日本最古の歴史書「古事記」によると、東征を終えた

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)=イワレヒコが

現在の奈良県、畝傍橿原宮(ウネビノカシハラノミヤ)で紀元前660年の元日に

初代天皇、神武天皇として即位されたという記述を元にして、その即位の日を

明治に入って新暦に換算して2月11日が紀元節、建国記念の日となりました。

 

神武天皇即位から2677年、今年は日本オリジナルの暦では皇紀2677年です

神話から現代まで明確に君主の血筋が繋がっている国は他にはありません。

神武天皇から数えて現在の天皇陛下は125代目、世界一長く続いている国である

という所以でもあります。

 

 

イワレヒコは九州宮崎県日向で太陽の神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の血を引く

王族の4男として生まれ15歳で皇太子となり、45歳で兄らと共に

「ここは日本全土を統治するには西過ぎる、もっと東の地へ行こう」と東征へ出発する。

 

宮崎県から大分宇佐を経て福岡県で一年留まって広島、兵庫、大阪へと軍を進めるが、

地元の豪族、登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)が軍勢を率いて待ち伏せし、

イワレヒコ一行との戦いとなった。

その戦いの最中、イワレヒコの兄、五瀬命(イツセノミコト)は腕に矢を受け負傷してしまい

イワレヒコの東征軍は一時撤退を余儀なくされる。

そのときイツセは「我々は日の神の御子だから太陽に向かって戦うのは良くない、

遠回りをしてでも太陽を背負ってそのご加護を受けて戦わねば」

との言葉を残し死んでしまいます。

 

兄を亡くしたイワレヒコはその言葉に従って南下し、現在の和歌山県熊野に入るが、

悪神の化身 大熊の放つ毒気に触れてイワレヒコとその軍勢は病に倒れます。

 

この様子を天の国高天原(タカマガハラ)で見ていたアマテラスは剣と雷の神タケミカヅチ

に「私たちの子孫が苦戦している、行って助けてやりなさい」と命じましたが

「私が行かなくても私の剣を降ろすだけで大丈夫ですよ」と言い

天から霊剣フツノミタマを降臨させます。

受け取ったイワレヒコはたちまち病から回復し、兵たちも起き上がり

悪神は戦うまでも無く自ら切り倒れて自爆してしまい熊野はイワレヒコに平定されます。

 

その後、熊野の道案内として現れたのが3本足のカラス、八咫烏「ヤタガラス」

悪神やまつろわぬ軍勢とも会うこと無く、逆に多くの有能な味方と出会い軍勢に加わります。

 

ちなみにヤタガラスは現在サッカー日本代表のエンブレムとしても有名ですね。

 

いよいよ熊野を踏み越えて、現在の奈良、宇陀の地へと入ったイワレヒコがそこで

エウカシ、オトウカシとの戦いとなりますが、オトウカシがこちらに寝返りエウカシの企みを

イワレビコに告げるとエウカシは自分の仕掛けた罠にはまって死に、吉野が平定されます。

 

他にもヤソタケル、エシキ、オトシキなど抵抗する豪族を次々と破り、

ついに兄を射ったナガスネヒコとの決戦の時を迎えます。連戦に連戦を重ねるがイワレヒコは

勝てない、しかしここでもう一羽の鳥がイワレヒコを助けます。

 

空がにわかにかき曇り雹が振り出すとどこからともなく金色に輝くの鵄(とび)が現れ、

イワレヒコの弓の上に止まり電撃のような金色の煌きがあたりを照らし出した、

混乱したナガスネヒコの軍勢に向けイワレヒコは討ちかかりついにナガスネヒコを倒し、

大和の国の平定が成し遂げられます

 

その後、畝傍山のふもとに橿原宮を造営し、そこでイワレヒコは52歳にして

初代天皇「神武天皇」として君臨することになります。

 

以上が古事記、日本書紀に記述されている「神武東征神話」のあらましです

 

今上陛下の譲位、126代目への皇位継承が今準備されていますが、

このような歴史の節目の機会にこの国の事をちょっとだけ考えてみてはいかがでしょうか?

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。

 

 

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