海軍記念日 第112回日本海海戦記念式典を見学してきました。

   

5月27日は、かつて海軍記念日と呼ばれた祝日でした。

今から112年前の明治38年(1905年)5月27日。対馬沖で戦われた日本海海戦の勝利を記念して、その翌年から海軍記念日として多くの国民がその日を祝っていたそうですが、戦後、GHQの占領下で廃止され国民から忘れられていきました。

しかし、その伝統は完全に喪われてはおらず、今も連綿と受け継がれています。

佐世保市天神山の中腹、東山町に今も残る「東山海軍墓地」で112回目の日本海海戦記念式典が挙行されました。

明治38年、日露戦争の最終局面となったこの時、陸では3月10日の奉天会戦に勝利し朝鮮半島、中国東北部(満洲地方)のロシア陸軍を一掃し、海では前年の黄海海戦、蔚山沖海戦でロシア太平洋艦隊を撃滅したものの、まだロシアには切り札が残っていました。バルト海、リバウ港から出港し、地球を半周してバルチック艦隊が日本を目指し進撃していたのです。

そのロシア・バルチック艦隊を大日本帝国海軍・連合艦隊が対馬沖で迎撃した日露戦争最後の決戦が日本海海戦です。英語表記では決戦海面の場所にちなみ「battle of Tsushima」と呼ばれています。

この戦いで旗艦「三笠」の艦上で指揮を執ったのが東郷平八郎大将(後の元帥)です。出動の際に「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」と大本営に打電し、指揮下の艦隊に対しては「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」との意味を込めたZ旗を揚げ、艦隊を鼓舞しました。

東郷大将は迫るバルチック艦隊の直前で敵艦隊の進行を遮る大回頭(丁字戦法)を行い、全艦隊の火力を敵艦隊先頭に集中し各個撃破。戦闘が終わってみると数隻の鹵獲(捕らえた)艦を除きほぼ全てを撃沈し、世界の海戦史上類を見ない完勝を飾っています。

その東郷平八郎の銅像が後輩達を見守り、日章旗、旭日旗、そしてZ旗が翻る中、厳粛な雰囲気の中で行われた式典は、一時分断はされたものの日本の歴史はちゃんと繋がっていて、この歴史を後世の日本人にしっかりと伝えるのは現代を生きる私達の責任なのかもしれない。そう思いました。

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