東日本大震災から6年、日本人に備わる献身のDNA

      2018/07/10

早いものであの日からもう6年もの月日が流れました。地震、津波、そして原子力災害の被害を受けた東北地方はいまだ復興の途上にあります。

震災当時、津波の迫る宮城県南三陸町の防災庁舎では防災無線でギリギリまで避難を呼びかけ続け、多くの町民へ高台への避難を促しその命を救いながらもご自分は逃げ遅れ命を落としてしまった一人の女性が思い出されます。遠藤未希さん当時24歳、前年結婚したばかりで9月に結婚式を控えた方だったと記憶しています。責任感のとても強い方だったそうで、残された音声の最後にはなおも放送を続けようとする未希さんの声を遮るように「上へあがっぺ、未希ちゃん、あがっぺ」という周囲の制止の言葉で終わっていたそうです。

この話を聞くと、1945年の玉音放送後すでに終戦を迎えたはずの樺太でのソ連軍の無法な侵攻の中、通信の重要性から電話交換業務を全うする為、真岡郵便電信局に最後まで残った女性電話交換手9名の最期が思い起こされます。

 

古くは古事記にも同様の行いをした人がいます、英雄ヤマトタケルの妻オトタチバナヒメもその一人です、ヤマトタケルが九州でクマソを征伐した後、休む間もなく東へとまつろわぬ者を平定する旅の途中、荒れ狂う浦賀水道の海神を鎮める為にオトタチバナは嵐の海にその身を捧げる、すると海は穏やかさを取り戻し、船は無事対岸へとたどりつく事ができたといいます。

 

特攻隊を始め自らの後に続く者の為一つしかない命を捨てる。現代の日本人にはなかなか出来ない事だと思われていましたが、現代人であるはずの遠藤さんはそれをやり遂げられています。

明治天皇は日露戦争の旅順港閉塞作戦の際に命を落とした広瀬武夫の戦死の知らせを受けてこのような歌を詠まれています。

「しきしまの大和心のををしさは 事ある時ぞあらはれにける」=日本国民の大和魂の雄々しさは、たとえ平時には現れなくても、有事の際には自然と外に顕れるものである。

いざという時、国難に際した時に、日本人のDNAの中には「献身」が備わっているのでしょうか。偉大な先輩方に恥じない立派な日本人を目指したく思います。

最後に東日本大震災で命を落とされた方のご冥福をお祈りします。

今日もにゅ~ぺとりをご覧頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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